母の病気が発覚するまでの経緯
母は最初、背中に小さなこぶがあり、形成外科を何か所も受診して脂肪種の可能性を指摘されていました。もともと病院嫌いの母を無理やり連れて行き、ようやく大きな病院に紹介状を書いてもらい受診しました。すると黄疸の症状が見られると言われ、緊急で内視鏡検査を受けることに。
父から「緊急手術した」と連絡が入り、私たち夫婦は慌てて病院へ駆けつけました。
その日はちょうど家を購入する銀行との契約日で、家族は混乱の渦に。
長女は高校を無断欠席で学校から連絡が入り、次女は部活の部長として責任を抱え、友達関係でも号泣——まさにカオスな一日でした。
母の余命が半年と告げられたとき
母は、胆管がんと診断されました。母の余命が半年と告げられたとき、私たち家族は在宅介護を選びました。それまで母はとても強く、自分の弱音を見せることはほとんどありませんでした。しかし、一時退院で実家に戻った際、初めて母が「一人でいるのは大変だった」と弱音を吐いたのを覚えています。強い母がそう言う姿を見て、家族みんなが胸を痛めました。
一時退院して手術まで体力をつけると意気込んで頑張りました。
ですが、急変し病院の診察待ちの際トイレが間に合わず漏らしてしまいました。
パニックになった父から呼び出し。
そして意識が低下し危ない状態でした。
あの時の、母の状態で診察2時間待ちは本当に可哀想でした。
早くずっと入院できる病院に転院させておけばよかったと思いました。
やっと黄疸がひき、手術しましたが色々な場所へ転移しておりすぐに中断しました。
この時まだ希望があったので、本当に泣きました。
家族の協力があってこそ
父や弟は仕事をしてもらい、母は私たちの家に呼びました。夫や子どもたちの理解もあり、在宅介護を行うことができました。母のために生活空間を整え、精神的にも支える体制を家族で作ったのです。
介護保険の申請

病院の看護師さんからは、まだ申請段階ではないといわれました。
ですが、母が自宅に帰ることを希望していたので、市に相談しました。
市役所の方は自分から聞くと、丁寧に教えてくれます。
制度は用意しているけど、市役所や病院は何にも教えてくれません。
健康保険特定疾病療養受領証
母は、透析になり、夫とネットで何か支援がないか調べました。
すると障がい者手帳の申請ができると書いてありました。
次の日早速市役所に行き、申請書をもらい行院へ行きました。
すると、母はまだ透析になったばかりで数値も達していないので、申請できない。と言われました。
では、検査結果のどこの何がいくつになったら申請できますか?と受付に聞きました。先生に確認してきます。と言われ待っていると。
……
健康保険特定疾病療養受領証が受けれるから加入している健康保険組合に申請してください。と言われました。
本当にびっくり。ここも一度で引き下がっていたら、高額な医療費を払っていたところでした。
高額医療費制度と別ものです。

介護・仕事・子育ての狭間での日々
母の介護、在宅ワーク、そして3人の子育て——どれか一つでも大変なのに、私はすべてを同時に抱えていました。
パソコンの前に座って仕事をしながら、母の呼び出しに応じ、洗濯機を回し、夕飯の準備をする。1日が終わる頃には、心も体もすり減っていました。
子どもたちの前では泣けず、笑顔を作る毎日。「お母さん、大丈夫?」と聞かれるたびに、「大丈夫だよ」と答えていましたが、本当は泣きたくも、叫びたくもありました。


心が折れそうになった瞬間
姉も弟も母の介護には関わらず、「なんで私だけ…」と孤独で悔しい夜もありました。しかし、母が「ありがとうね」と笑ってくれるだけで、私はまた頑張れました。その笑顔が、私の支えになったのです。
支えてくれた言葉と人
夫の言葉
「俺たちは常に正しいことをしよう。間違ってない。大丈夫だよ」——この言葉に何度も救われました。
娘の言葉
高校生の娘が母の介助で学校に遅刻した日。「ごめんね」と謝る私に、娘は「大丈夫だよ」と笑ってくれました。その一言がどれほど支えになったか、今でも忘れられません。
在宅介護の工夫と生活空間の整備
母が少しでも落ち着けるように、リビングに介護ベッドを置き、Amazonで購入した突っ張り棒とカーテンで“保健室”のような空間を作りました。これにより、家族も母も少しずつ生活リズムを取り戻すことができました。
▶ 使用した突っ張り棒とカーテンはこちら

AUTVIVID 間仕切りカーテンポール 部屋仕切り つっぱり棒 カーテンレール カーテンリング付 パーテーション テレワーク 縦170-300cm 横160-300cm 伸縮可能 錆びない 設置簡単 (3ポール, マットホワイト)

在宅介護で役立ったアイテム
- 突っ張り棒(空間仕切り用)
- 遮光カーテン
- 介護ベッド(レンタル)
- ポータブルトイレ
- 防水シーツ
- トイレまでの手すり
特に遮光カーテンは母の気持ちを落ち着ける効果があり、防水シーツは介助の負担を大きく減らしてくれました。
私が壊れなかった理由
- “完璧じゃなくていい”と自分を許せたこと
すべてを完璧にこなそうとすると心が壊れてしまいます。「今日はこれだけできたからOK」と、自分を許すことを覚えました。 - 記録することで心が整ったこと
介護の記録、母の言葉、自分の気持ち——ノートに書き出すことで、少しずつ心が整理されていきました。
宅配弁当の利用

ご飯も辛いときは、お弁当を頼みました。
可哀想とか罪悪感最初はありました。でも自分がつぶれてしまったらという責任感もあったので、勇気を出して頼みました。
今、同じように頑張っているあなたへ
在宅介護・子育て・仕事の三役を抱えて踏ん張っているあなたへ。あなたは十分に頑張っています。泣いてもいい。誰かに頼ってもいい。
制度や道具に頼ること、家族以外に甘えることは決して間違いではありません。この記録が、少しでもあなたの心に寄り添い、支えになれますように。

