自立しか知らなかった私が、人に甘える強さを知るまで
私はずっと、誰にも甘えられなかった。
甘え方を知らなかった。
頼ることは「弱さ」だと思っていたし、誰かに期待して裏切られるくらいなら、最初から自分で全部抱えたほうがいい——そうやって生きてきました。
その原点には、母との関係があります。
母のようになりたくない。
誰かに依存して、感情をぶつけて、孤独に苦しむ姿を見て育った私は、「自分の力で生きる」ことだけが正解だと思っていました。
でも、夫と出会って初めて知ったのです。
人に頼ることは、弱さではなく、信頼だということ。
愛されることを、許してもいいのだということ。
介護の始まりと、心の距離
余命半年と告げられた日、母は驚くほど冷静でした。
「家で過ごしたい」と言った母の言葉に、私は戸惑いながらも在宅介護を選びました。
仕事、子育て、そして介護。すべてを抱えながらの日々は、正直言って限界でした。
それでも、母は一度も「ありがとう」と言いませんでした。
代わりに、私が忙しく動き回る姿をじっと見つめていたのです。
言葉ではなく、背中で示された愛
ある日、母が私の好きな煮物を少しだけ口にしたあと、
「昔、よく作ってたね」とぽつりとつぶやきました。
それは、母が初めて私の“好き”を覚えていたと知った瞬間でした。
母は言葉ではなく、行動で愛を示す人だったのかもしれない。
そう思ったとき、私は初めて「母に似たくない」という気持ちが揺らぎました。
愛されることを拒んでいた私
私はずっと、「母に愛されていない」と思い込んでいました。
でもそれは、母の愛のかたちを受け取る準備ができていなかっただけかもしれません。
母が最期に見せた、静かな微笑み。
それは、言葉よりも深く、私の心に届きました。
今でも言葉が欲しいと泣いてしまうくらい。だったら聞けばよかった。
私のこと好き?って。
許すこと、受け入れること
母の死後、私は何度も「母に似たくない」と言っていた自分を思い出しました。
でも今は、母のように誰かを黙って支える強さも、
母のように言葉ではなく行動で示す優しさも、
少しずつ受け入れられるようになっています。
「愛されることを許す」——それは、母との確執を乗り越えた私自身への許しでもありました。
そして、母の背中を思い出す
今、子どもたちに何かを伝えたいとき、
私は母のように背中で語ることがあります。
それが、母から受け継いだ“愛のかたち”なのかもしれません。

